2019年11月16日土曜日

【生きる意味の答えを先延ばしにされている?】(生きる意味)

こんばんは。長南です。
今回は、みなさんがお尋ねになりたいと思われる、
代表的な質問を頂いています。

それは、
「生きる意味の答えが分かる、ということだったのに、
 いつも先延ばしにされているようで、
 最後まで分からなかった」
というものです。

あなたはどう思われますか?
生きる意味はもう分かられましたか?
それともこの質問をされた方と
同じように思われますか?

これについては、編集後記でお答えします。


さて今回は、誰もがうすうす感づいている
「なぜ経済的自由を手にしても幸せになれないの?」
という問題についてです。

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11月16日 501号
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■なぜ経済的自由を手にしても幸せになれないの?
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人類の歴史を振り返ると、私たちは、

・物質的に豊かになれば、
・自然を支配して、思い通りにできれば
・限りなく進歩すれば
・個人の自由を妨げられなければ

幸せになれるのではないか……
という希望と信念をもって、
経済発展や科学の進歩に力を注いできました。

ところが、20世紀の研究によって
GDPがある程度を越えると幸福感はあがらないことが
明らかになりました。

フランスの社会学者デュルケムは、
金持ちほど自殺率が高いと言いましたが、

最近の研究でも、日本では、
1人当たりの年収が約700万円を超えると、
幸福感が下がります。

800万円を超えると、
不安が大きくなって行きます。

そして1000万円を超えている人は、
平均寿命が2年少ないそうです。

このような各種研究によって、
そして実感としても、
物質的な豊かさ、自然の支配、
限りない進歩、個人の自由などによって
幸せになれるという幻想は打ち砕かれました。

▼このことをお釈迦さまは
2600年前に
有っても苦、無くても苦
「有無同然」だと言われています。

有無同然は
有無同じく然り、
と読みます。

お金や財産、地位、名誉、進歩、自由といったものが、
無い人は、これらを欲しがって苦しみます。

ところが、有る人は、有ることによって苦しむ。
「有無同じく然り」
なのです。

有っても無くても、
不安や心配、満足できないことには変わりがない。
有無同然だとお釈迦さまは教えられています。

お金がない人は、もう少しお金があったら
あれも買えるのに、これも買えるのにと思います。

ところがお金がある人は、
お金をなくすのではなかろうか、
預けている銀行が倒産しないだろうか、
今までなかった不安や心配が出てきます。

ノーベル賞が欲しい人は、
ノーベル賞がないことで苦しみますが、
ノーベル賞をもらった人でも苦しんでいます。

次は受賞作品以上のものを書かなければなりませんので、
大変かと思いますが、自殺した人さえあります。

夫や妻がいなくて苦しんでいる人もいれば、

夫や妻がいるから苦しんでいるという人もありますし、

子供がいなくて苦しんでいる人もいれば、
こんな子供を持ったから苦しんでいるという人もあります。

無い人にはなかなか分からないので、
お釈迦さまはたとえを使って教えられています。

ない人の苦しみは、鉄の鎖で縛られているようなものだ。
ある人の苦しみは、金の鎖で縛られているようなものだ。

自分は金の鎖で縛られているけど、
鉄の鎖で縛られている人はかわいそうだな
ということにはなりません。

有無同然で苦しみ悩みが絶えない
ということです。

▼では一体なぜ、
金の鎖で縛られても
鉄の鎖で縛られても
苦しむのでしょうか。

すると、そうだ、
苦しめているのは金とか銀とか鉄とかの
材質ではない。

縛られていることが苦しみだ
と思います。

お金がどれだけあっても、
物がどれだけあっても
苦しんでいるということは、
問題はお金や物ではなく、
自分の心によって自分が苦しんでいるのだろうと
思います。

これに気づくかどうかは、
頭のよしあしの問題ではありません。

ものすごく頭がよくても気づかずに
すごい勢いでお金を求め続けている人もあります。

ほとんどの人がお金や物がないから
自分は苦しんでいると思っている中、
仏縁深い人は、一歩進んで、
自分の心に原因があるのではないかと思います。

ではどんな心が自分を苦しめているのだろう
と考えますと、

どれだけお金があっても、どれだけ物があっても、
もっと欲しい、もっと欲しい、
まだ欲しい、まだ欲しい
限りなく求めることで苦しんでいます。

だから求めている金や物でなく、
それがどれだけあってもっと欲しいと思う、

欲の心のために私たちは苦しんでいるのではないか
と思います。

欲というのは代表的な煩悩の一つです。

もし煩悩が私たちの苦しみの原因であれば、
方法が2つ考えられます。

1つは欲を満たしきること
もう1つは欲をなくすこと
これで苦しみはなくなるはずです。

しかし、今回は長くなりましたので、
続きは次回
欲の心が苦しみの原因なのか、確かめてみるとしましょう。

今回はまとめると、
なぜ経済的自由を手にしても幸せになれないのか、
というと、お金は「有無同然」なので、
私たちが苦しむ原因はお金ではなく心にある
ということです。

∽…∞…∽…∞……∽…∞…∞
■編集後記
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それでは、冒頭のご質問にお答えします。
「生きる意味の答えが分かる、ということだったのに、
 いつも先延ばしにされているようで、
 最後まで分からなかった」
というものです。

まず、こういうご質問をされる方は、
「生きる意味を知りたい」
というお気持ちが感じられますので、
大変尊い方です。

生きる意味というのは、
何のために生まれてきたのか、
何のために生きているのか、
なぜ生きねばならないのか、ということです。
言葉を変えれば生きる目的であり、
人生究極の目的は何か、ということです。

この答えは、
人はみな幸せを求めて生きていますので、
一応幸せになることが、
生きる意味だといえます。

ただ、その幸せが、一時的な、簡単に崩れるはかない幸せでは、
そんな夢幻のような消えてしまう幸せのために
生きているとはいえません。
手に入れる努力が水の泡になりますから、
虚しくなります。

そのため、本当の生きる意味は、
崩れることのない、変わらない幸せになることです。
これを「絶対の幸福」といいます。

もしご質問のように
「生きる意味が最後まで分からなかった」
と思われるようでしたら、まずここで、
「生きる意味は、絶対の幸福になること」
と答えが出ていることに、お気づき頂ければと思います。

これで答えはお分かり頂けたと思います。

次なるご質問は、
「絶対の幸福とは何ですか?
 それが分からないし、先延ばしにされている」
ということだと思います。

ところが、絶対の幸福は、
理論ではなくて、体験です。
絶対の幸福についての理論を理解しただけでは
不十分で、自分がその世界へ行って体験しなければなりません。

例えば、コーヒーを知らない人に、
「コーヒーの香を説明してください」
と言われて、言葉で説明できるでしょうか?

非常に難しい、
というより、不可能なことです。
コーヒーの芳醇な香を知って頂くには、
コーヒーを淹れて、その香を
味わって頂かなければなりません。

もちろん、用意するものは
コーヒーでなければならないので、
醤油とか、コーラでは
コーヒーの香は分かりません。

それは色は似ていますが、
コーヒーではありませんよ、
コーヒーはこっちですよ、
という説明は必要です。

そうやって、絶対の幸福を唯一明らかにされた
仏教の教えを聞いて行くと、
絶対の幸福の世界に出られるのです。

そして今回の本編の内容は、
お金や財産、地位、名誉、進歩、自由といった
「有無同然」のものでは、
絶対の幸福にはなれませんよ、
という多くの人に関係する重要な内容です。

あとは、一人一人仏教を聞いて
絶対の幸福の世界に出て頂かなければなりません。

苦しみの根本原因を知り、それを断ち切られて
絶対の幸福になるには、仏教を聞く一つです。
もう一度、今回から7回で(あと6回)生きる意味について
明らかにします。

ぜひあなたも絶対の幸福になるところまで
仏教を聞かれることを念じています。

ぜひ21回の無料メール講座も復習してみてください。
それではお体くれぐれも大切になさってくださいませ。



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発行:長南瑞生(中村僚)
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